アドバイスや人間関係の覚書

どんなアドバイスを取り入れるかは、自分の考え方、方向性次第だが、何かにつけて理由を持ち出して「そうは言っても俺は違うし」を続けるとただの頭の硬い人になり、人の意見を全く取り入れず何も成長しない人になりかねない。

質の低い罵倒とも言える批判を、間に受けず突っぱねることは自分の軸をぐらつかせない上で大切だが、その環境にい過ぎて何も受け付けなくなると、グサッと傷付くが本当に大切な批判すら突っぱねることになりかねない。

「成長」とは、それまでの自分の世界でない世界に足を突っ込むことであり、今までの自分と違うことをすることであり、今までの自分と違う自分になることである。

成長している最中に、自分自身に変化を感じることもあれば感じないこともあるが、感じていない時には無意識に変化しているということである。

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「人それぞれ」とは議論の前提であって、結論ではない。
そう結論づける人が、本当にいいと思ってないことをアドバイスしているのか、自分に自信が無いためなのか、発言に責任が持てないためなのか、それは分からない。

正しかろうが間違ってようが、とりあえず意見を表明する際は「自分はこう思う」とはっきり述べられるようになるべきである。

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教育する、洗脳する、影響を与える

どれも「人を変化させる」行為で、見方によって、表現を変えたものである。

表現は良くないかもしれないが、これらの変化は「自分好みに染め上げる」変化であるとも言える。

時としてそれは悪い意味で「宗教的」と呼ぶこともあろう。

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いいと感じたらいいだろうし、悪いと感じたら大抵悪いのだろう。
直感的にそのように感じる能力を「感性」という。

感性と観念は時として相反することがある。
感性に即しない観念とは、極めて空虚で、単なる屁理屈である。

屁理屈とは、実際に即しないが筋としては通ってることも多く、あたかも正論であるかのように思えるので極めて厄介である。

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ペン回し界に権威はない。

名選手が必ずしも名監督でないように、ウマコテは必ずしもウマアドバイザーではない。

日本ペン回し連盟は有志が勝手に作ったものであり、上からの権威付けはされていない。栄枯盛衰、むしろ枯れて衰えることの多いペン回し組織において、ブランド力があるわけではない。彼らのこれからの実績次第である。

同様にFSのアドバイスをする人も好き勝手やってるだけで、その人たちに権威も正当性もない。数多くの有名なCVに出た、世界大会に出たからと言え、その主張が正しいかなんてわからない。

となると、主張の説得力が権威を生む形になる。
説得力とは、論理の緻密さであったり飛躍の有無であったり、そもそもの根拠の納得感だったりする。

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ペン回しを、言語を用いて語ることに意味があるのか、考えることがある。
結局回して練習しないとペン回しは上手くならない。動画を見てひたすら真似し続けるだけでいい気もする。現に語っているだけの自分は下手くそだ。

ペンスピナーが求めているのは、「感動させてくれる回しをするスピナー」であって、「深イイことを語ってくれるスピナー」ではない。

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ある人の回しを見て感じることと、その人がその回しで意識していたこととは、往々にしてズレるものである。
「そんな感想を持ってくれるなんて考えたことない。自分はこんなことしか考えてなかった。」ということは結構ある。

「じゃあその人が考えていた『こんなこと』を俺も真似しよう」と試してみて上手くいくとは限らない。
その人が「考えてもいない無意識にやっていること」が、そもそも自分も同じように出来ているかなんて分からない。

そのそれぞれのプレーヤーが「考えてもいない無意識レベルの技術・共通点」を、皆が共有できる形にするのが、言語化、語ることの目的だろうと思う。

言語はウマコテとそうでない人たちを繋ぐ架け橋となりうる。

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技術論はウマコテとそうでない人々との架け橋にはなる。
ただしあくまで橋にしか過ぎず、その橋を渡ってウマコテゾーンに踏み入れるには、当の本人がその方向に向かって一歩一歩を歩いていくのかによる。

その方向に歩ませるのは、単なるFS論や技術論だけではなく、コーチング技術や橋を作る人と渡る人との信頼関係によったりする。また別次元の話である。

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信頼のおける人が周りにいるかというのは結構大事である。
その後の人生すら左右する。
信頼のおける人とは、「この人は自分のために何かしてくれたり、言ってくれたりする人」である。

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以前、ペン回し界では「内輪化」が問題視されたことがあった。それぞれのスピナーが特定のコミュニティでしか交流を深めないことが、ペン回し界の発展を阻害すると言われたことがあった。

今では初心者や若手もtwitterでウマコテ達と繋がれるようになり、その傾向は以前よりなくなったように思う。

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弊害がない訳では無い。

ウマコテとつながることで、手の届かなかった人たちとの交流が増えると「いつかああなりたい」という気持ちも失われることがある。

自分の手に届かないものを求める欲求、「あの人達に会いたい」「あの人達のように上手くなりたい」という憧れのようなものは、繋がりが出来ることでそれだけで満足してしまうこともある。

Twitterで会話ができるだけで、ウマコテに認められたと感じ、「憧れのあの人と会話できて満足してるし、ペン回しが上手くなくても楽しいや!」ということにもなりうる。

自分は「ペン回しをする」のではなく、「ペン回しを頑張って上手くなっていく」過程を共有するのが楽しいので、上手くなろうとする意識が失われるのはいかがなのかと思ってしまう。

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ウマコテと繋がることで、繋がっていない人達を排撃する人もいるようである。「自分達はもっと上手い人とのコネがある、だからコネがない君たちはよそ者だ」と言わんばかりである。
ウマコテとよく話す人のなかには、そのウマコテの威を借りて居丈高に振る舞っている人もいる。ウマコテの教えを受けた正当な人が自分、とでも言うかのように。

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下手にウマコテと繋がるよりも、年代や地域の近い人たちで信頼のおける人間関係を作るのは、ペン回しが好きでずっと楽しみたいなら必要である。
そういう人間関係を作った上で、あれこれとお互いのFSについてアドバイスし合えると、その後続けていけるかが変わる。

そのためにも、ネットを介しての繋がりだけでなく、オフ会で対面して作る人間関係の方がよっぽど大事である。

若手・初心者はオフ会を重ねるべし。ペン回しをする人に悪い人はそんなにいない。はずである。

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ペン回しを始めて半年以内の人は始めたてホヤホヤの人たちとも仲良く出来ると思うし、技が出来る喜びやCVを見た時の感動も一緒に味わえると思う。
なんだかんだで歴が近い人とは、自分と同じものを見てきた可能性も高いので、あの時あんなことがあったよなと振り返れることも多い。

歴が離れるとやっぱり見てきたもの、感動してきたものが違うので100%分かり合うことは出来ない。

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twitterだけで交流しているという人がどれくらいいるか分からない。
浅くて薄い交友よりも、深くて濃い交友こそが自分にとって大切な友人となりうるのだ。