邪魔な「くだらないプライド」は昔から示されていた

自分のプライドの源泉を辿ってみる。

いつから、自分は自分を取り繕うようになったのだろうか。
嘘をつくようになったのか-------------

今を見てみる。

今は分からないことを聞かれたときの対応は、ツイッターで、ペン回しに関することだととにかく繕っている。
人よりモノを分かっている様子を見せたくて、よく分かっていなくてもそういうツイートをする。
恐らくこれは仕事での瞬時の判断に悪影響を及ぼしている------------

前職ではどうか。

前職では素直に自分の能力のなさを認めるよりも、怒られたときのダメージが大きすぎたため、嘘をついてでもなんとか怒られないよう、上司の耳障りのいい言葉を言えるよう努めていた----------------

学生時代。

就活……確かに繕っていた。
口がモノを言う就活とは、その場しのぎで繕えばなんとかなる競争であった。
ひとつはここで企業を、社会を、人を、甘いと思ってしまったのかもしれない。
所詮はその程度だと。
目の前の人間は何も成し遂げていない学生の口先三寸にすら騙される人間なのだと---------------

大学のスキーサークル。

必死に人と、目標と、夢と、向き合った4年間。
人を騙そうとしたことは、ないと、思う。
ただ、4年目の途中から、スキーのことが分かり初めてから、周りの人間に対する見方が変わったかもしれない。
遥か上の技術を持つ人達を分かった気になり、そうでない人たちを見下していたきらいがある。自分はその技術を体現できてすらいないのに----------------

大学受験。

2010年4月。基礎の基礎から始まる講義に、ひっくり返りそうになったのを今でも覚えている。
だがその基礎の基礎を徹底的に繰り返すことが、結果として日本で有数の大学に入学することになった。
だが少なくともこの過程で、自分は「なんで分からないの?!」と言われることを恐れていたと思う--------------

高校生はそもそもいい思い出がなく、人として成長した覚えがない。
無邪気な同級生のいじり(め?)の対象となり、鳴りを潜めて過ごしていた。

中学生。

努力したことがそれなりに結果に直結する時期だった。
学年テストの学年順位は一桁、学校対抗の駅伝大会の代表、英語スピーチの学校代表で地区入選など、中学生時代は、これまでの人生のなかでも数少ない「怖いもの知らず」な日々であった。

家では

自分は部屋掃除や食器洗いなど、ありとあらゆる家事を母と祖母に任せていた。
「掃除をしなさい!」と言われても、生返事だけで動くことはなかった。

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そして、仕事。
今の会社では2年目、社会人としては3年目を迎える。
今の仕事のやり方は、人に尊敬されるやり方なのか。

先日、たまたま部屋の掃除をしていると、小学校と中学校の通信簿が出てきた。
懐かしい~と思い出を振り替えるべくペラペラめくってみたのだが、結果として「今のあなたはこうですよ」と、現実を見せられることになった。

学校教育は役に立つのか?という疑問は少なからず頭にあったが、通信簿は社会人の自分を現しており、どう変えなければならないのかを示す指針となりうるものだった。

どこにそれが書いてあるのか。

学問だろうか。国語、数学、英語、体育………。

ここにはない。
少なくとも学年順位一桁をキープしてた自分だ。学問面では優秀である。

だか通信簿には、勉学とは別の項目が用意されている。

それが

「生活面」

である。
評価項目は

「人の話をきちんと聞いているか」
「自分のやることを責任を持ってやれているか」
などなど…………。

この評価が、自分の通信簿では異様に低かった。
「よくできる」は2~3個、「がんばりましょう」が1~2個ついており、あとはすべて空欄である。

この「生活面」は今の自分をすべて表していた。

ヘタな自己啓発本を何冊も読むよりも、評価項目の一文一文が自分の「プライド」に突き刺さる。

自分が昔から何も成し遂げられない人間であることを、その通信簿は示していた--------------

自分の「くだらないプライド」は、恐らく学問面的優秀さからくるものなのだろう。
それは「仕事」という、協調性、行動力などの目標を遂行する力が求められる世界とはかけ離れたものである。

社会人としての優秀さは通信簿の「生活面」にすべて表される。これは自信を持って言える。上でも述べたが、自分の通信簿は1500円前後のヘタな自己啓発本よりもずっと役に立つ。なぜなら自分の評価と足りない点が全部印されているからだ。

だが幸いなことに、自分は自分を変えることが出来る。過去は過去、現在は現在だ。 


学生の人に告げるなら、社会人になっても「通信簿」はつきまとう。成績も評価の対象だし、いわゆる「生活面」に値する項目が、社会人でもあるのだ。

社会人になって初めて実感する、学生時代の通信簿。
今一度自分自身の追憶と、戒めのために、見返してみてはいかがか。